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バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

乗ったバスは雲の上を走って行く

                ≪九月十四日≫  -壱-



  窓の外が薄っすらと白みはじめてきた。


 南京虫にやられた痒みも、それほど酷くなかったのか、眠気には勝て

なかったようだ。


 こんなに早く置きだしたのも久しぶりだ。


 只今、午前六時。



  どうやら、天候は回復しそうだ。


 荷物の整理も昨夜の内に終らせているし、・・・・後は寝袋をたたみ

込むだけだ。


 いつ崩れ落ちるかと思った、このストーン・ハウス・ロッジも住めば

都で、なかなか快適な住処だったように思う。


 少々危険ではあったが、何もない小奇麗さと宿泊代の安さ。


 この長い旅の中でも、思い出多い宿となることは間違いないだろう。



  後は、シャワーを浴びるだけ。


 何しろここからは、いつシャワーと言う奴にお目にかかれるかどう

か、分ったもんじゃあないから、浴びれる時に浴びておくしかない。


  あ~~~あ!お湯につかれる日はいつの日か。



  洗濯を済ませた清潔な衣服がバッグに詰め込まれている。


 これも又、いつの日か、汗臭い匂いを所かまわず撒き散らすに違いな

い。


 その日はそんなに遠くないのだが、今は気持ちのいい衣服に包まれて

幸せな気分である。


 とにかくこれで、一週間は気持ちよく旅が出来そうだ。


 それが又、たまらなく嬉しい。



  南京虫にやられたネパールの服を性懲りもなく着込んだ。


 昨日、これでもか!これでもか!と、ゴシゴシ衣服をこすったかいが

あった。


 今は何ともない。


 胸には、クリシュナに貰った木の実で出来た数珠が掛けられている。


 これではどう見ても、仏法僧だ。


 この格好では、どこかで同じ日本人と逢っても、俺を日本人とは見て

くれそうもない。


 こんな事が出来るのも、旅の恥は掻き捨てという事か。



                     *



  クリシュナとの約束は果たせそうもない。


 貧しい食生活、辛い仕事、どれをとっても報われる事のないクリシュ

ナの人生。


 (これは俺が単純に思っているだけで、彼はこれっぽっちも思ってい

ないかもしれない。いやそれどころか日本の生活よりずっと良いと思うかも

知れない。)


 俺はこれからも、こうして嫌な物を見ながら旅を続けていかなければ

ならない。



  そんな中で唯一の希望は、彼らの笑顔だ。


 あんな貧しい生活を強いられていると言うのに、笑っていられるの

だ。


 日本人が失った精神的な豊かさがここにあるのかも知れない。


 我々日本人がこれからどんなに豊かな生活が待っていていようとも、

この笑顔を見せることなく人生を終ってしまう人が増えてくる事だろう。


 本来の人間の姿って、どちらが本当に追い求めているものなんだろう

って、考えさせられてしまう。



  もちろん今の俺には、クリシュナの人生がより人間らしいと

は、なかなか言い切る自信は持ち合わせていない気がする。


 しかし、人間の優しさというものを考えてみるに、なんと日本という

国は住み難くなってきたことか。


 そしてこれからも、人間本来の優しさを放棄して、より物欲に猪突猛

進していく日本人の姿が見えてくるような気がする。



                   *



  朝早い水シャワーは、身が切られるようだ。


 寒い上、冷たい水が容赦なく落ちてくる。


 一度に目が覚めてしまう。


 しかし、これでもありがたいのだから、変れば変るもんだ。


 今にも床が抜け落ちてしまいそうな、今にも天井がボロボロと落ちて

きそうな、そんな部屋もいざ出るとなると、寂しい思いが込み上げてくる。


 こんな部屋でも野宿よりましなのだから。



  午前六時五十分、”The Stone House Lodge”を後にする。


 早朝のせいか、いつもなら人でごった返しているこの通りも、まだひ

っそりとしている。


 昨日から降り続いた雨もすっかり止んでしまっていた。



  バス会社に行く前に、郵便局に立ち寄る。


 朝早いというのに、郵便局は開いていて、入り口付近では労務者風の

数人の男達がたむろしている野が見える。


 郵便局の前には、自転車がいっぱい並んでいる。


 中に入ると、十数人の局員が歩き回っている。


 カウンターで絵葉書9枚を差し出すと、”Japan!?”と確認をされ

て、1.5Rs(33円)の切手を9枚手渡された。



  絵葉書に切手を貼って、局内にあるポストへ投げ込む。


 そしてもうひとつ、今まで撮ったフィルムを小包にして日本に送る。


 小包6.0Rs(132円)。


 後進国でも通信費は、先進国並には戸惑ってしまう。


 貧乏旅行者にとって、通信費は命をちじめてしまう。



  バス会社に行くと、もうカトマンズいちのボロバスが、事務所

の隣の空き地で待機しているのが見えた。


 屋根の上に荷物を上げて、カトマンズで買ったショルダー・バッグに

食料(ジュース・ビスケット)を入れた。


 何しろ、二十四時間の長旅である。


 山の中を走るルートに食堂などあるはずがないと思ったからだ。



  バスは日本で、昭和20~30年代に活躍した、ボンネットつきの

ボロバスである。


 バスの中を覗くと、すでに現地の人たちが半分の席を占めていた。


 俺はバスに乗り込むと、右の後輪付近に席を取る。


 席に座ってビックリ。


 右側三人、左側二人の五人掛けのイスなのだが、これがなんと木製。


 その上には、クッションになりそうなものは何一つないのだ。



       俺「えっ?このイスで24時間も座って行くの?」



  チェンマイのバスが天国行きなら、このバスは地獄行きかもし

れない。


 そんなことを思いながら外を眺めていると、席はだんだん埋まってき

た。


 見渡してみると、旅行者は俺一人しかいない。


 とは言っても、現地人のような、チベット人のような格好をしている

俺を、誰も日本人とは気がつかないに違いない。



  紳士ふうのインド系ネパール人?、大人しそうなモンゴル系ネ

パール人?、そして2、3の家族連れも見られる。


 左に座っている小さな子供達三人が、しきりに俺を覗き込んでは、俺

が見ると目をそらしてしまう。


 異様な感じのするバスも、走り出すと共に薄れてくるだろう。


 国境まで600円で行ってくれるのだから、少々のことは我慢しなければ

ならない。



                    *



  運転手が乗り込んで来て、キーが差し込まれる。


 窓から顔を出して、事務所の人としきりに話している。


 この運転手一人で、山の中を二十四時間も走り、そして戻ってくるの

だろうか?


 いよいよ、カトマンズの街ともお別れである。


 バスが動き出した。


 上下・左右に大きく揺れながら道に出る。


 この道を左にとれば、空港・大使館。


 その道を右にとり、南下し始める。



  緑の美しい中をバスが走ったのはほんの僅かだった。


 レンガ造りの建物が緑に映えて美しいと思ったのもつかの間。


 地肌が剥き出しの山々の中をバスは走る。


 走る度に、尾てい骨が木製の固いイスに打ち据えられる。


 思わず腰を浮かす。



  バスは一時間ほど走って初めて停まった。


 暫く休憩らしい。


 というのも、運転手は乗客たちに何も告げないのだ。


 乗客たちは思い思いにバスを降り、トイレに行ったりチャエを飲んだ

りのんびりしている。


 窓の下を見ると、赤ん坊をおぶった女が二人、座り込んでなにやら話

しこんでいる。


 その周りで小さな子供達がはしゃいでいる。


 服装は貧しい。



  近くにある建物を見ると、食料が並べられているのが見えた。


 看板は出ていないが、どうやら店なのだ。


 バスを降りて近づく。


 そこには珍しい物が並んでいた。


 俺が5、6歳のとき見たビスケットがそこに並んでいたのだ。


 まさしく日本のビスケットだ。


 丸いビスケットを15まい程重ねて、透明のビニールで包み込まれてい

るビスケットがここにある。



  ビスケットを一つ買った。


 持っていたのだが、ついつい懐かしくて買ってしまった。


 一つ、2.5Rs。(55円)


 舶来品だからか。



  バスは苦しそうに山道をゆっくりと進んだ。


 右に左にカーブをえがきながら、ドンドン登って行く。


 街を出るとき雲を被っていた高い山、どうもバスはその雲の中を走っ

ているようだ。


 窓の外は、濃い霧のようなもので前が見えにくくなっている。


 運転手は慎重に道を選んで走る。


 チェンマイ行きのバスが夢の中を走るバスなら、このカトマンズのイ

ンド行きバスは雲の中を走るバスとでも言おうか。



  またバスが停まった。


 雲の中で停まった。


 舗装もされていない3m程の道の左右は、切り立った山肌と吸い込まれ

そうな断崖絶壁の谷底だ。


 もちろんガードレールもなく、左右に傾きながらバスは走っていくの

だから、気分の良いはずがない。


 高山病だろうか、・・・・少し頭が痛くなってきた。



  五分ほど停車したあと、バスはまた走り出した。


 後ろを振り向くと、俺の通ってきた道が白い糸のように山肌を這って

いる。


 日本で言ういろは坂?日本の秘境を走る?いやいやそんな生半可な形

容では、表現の仕様がない程すごいアルプスの中をバスは走って行く。


 暫く走ると、突然濃霧で視界は10メートルほどの空間にバスは入って

しまった。


 しかし、バスは停まることなく、ゆっくりと進んで行く。


 いつものことさ!とでも言っている様に、バスは走る。



  標識があった。


 標高3775フィートと書かれている。
 名前だろうか。


 ”Sopyang”と書いているように見える。


 全く周りは山又山。


 ネパールとインドを分けている山々の峰に俺はいる。


 こんなすごい所を、この俺がオンボロバスで越えようとは、この俺に

も想像できなかった。


 何しろ、窓から下を見ると、バスの車輪と絶壁の谷底との境がほとん

どないというのに、運転手は平気な顔で前を見たまま走って行く。



  頂上を今越えたのか、バスはゆっくりと下り始めた。


 バスがまた停まった。


 バスの前を見ると、数人の現地の人たちが立ち塞いでいるのが見え

た。


 良く見ると、道路は踏切りの遮断機のような物で塞がれている。



       俺「国境ではないはずなんだが・・・・・。」



  バスは停まったまま、動きそうもない。


 河口慧海(1866-1945)「西蔵旅行記著」という人が歩いてきたと言

う、チスパニ-と言う関所の町かもしれない。


 カトマンズの南に位置し、北東にエベレストが見える。


 周りを見渡すと、掘建て小屋が数軒並んでいて、そこで数人の現地人

たちがチャエを美味しそうに飲んでいる。



       俺「日本で言う、ドライブイン?ここ?」



  バスを降りる。


 こういうチャンスにトイレに行っておかないと、大変な事になるから

だ。


 バスを降りたところで、運ちゃんに尋ねた。



       俺   「トイレは何処ですか?」


        運ちゃん「あっちへ行け!」



  運ちゃんが指差す方を見ても、それらしき小屋はない。


 けげんな表情で首をかしげていると、又運ちゃんが言った。



       運ちゃん「あっちだ!あっち。」



  とにかく、運ちゃんの言っている方へ歩いて行く事にした。


 歩いてもそれらしき物は見つけられない。


 そこで小さな小川を見つける。


 先客がいて、めいめいおしっこを川に向かってしているではないか。



       俺「そうか、トイレってこのことかいな。」



                     *



  ここは日本で言う、関所という事らしい。


 通行料を払って、バスはまた走り出した。


 こんな人が住んでいそうもない山の中で、時々人が歩いていたり、牛

を連れている人たちに出会うとビックリしてしまう。


 この人たちはいったいどういう生活をしているのだろう?と不思議に

思ってしまう。



  そうしているうちに、時々道の端で大根やら果物を並べて、こ

のいつ来るとも分らないバスの乗客たちを相手に商売をしているのに出くわ

した。


 バスはそんな大根を売っているところで停まると、運ちゃんが顔を突

き出して、大根を1束買っている。


 大根を買うと、また何事もなかったようにバスは走る。



  バスがまた停まった。


 下り坂の狭い道で、ある物と言えば、道の端にある古い一軒の家。


 運ちゃんはバスを勝手に停めて、勝手に降りていき、突然チャエを飲

み始めた。


 我々には何の説明もない。


 それでも乗客たちは、何の文句も言わないのだ。



  ノドが乾いたと思う人は勝手に降りてチャエを飲むのである。


 飲みたくない人たちは、バスの中で皆がチャエを飲み終わるのをジ

ッ!と待っているのであるから、ネパール人というのはなんとも気の長い民

族であろうか。


 家の中から、30~40代だろうか、なかなかの美人がチャエを運びなが

ら出てきた。


 この人たちは、一日に1回、こうしてバスの乗客たちにチャエを出し、

大根を売って生活しているのだろうか。


 なんとも言えず、驚きの連続である。



  バスの運ちゃんは、チャエを飲みながら、その美人としきりに

話をしている。


 運ちゃんお気に入りの彼女なのだろうか。


 そんな運ちゃんを見ながら、バスの中の人たちは黙っていつか動き出

すだろうと言うバスの中で、ジッと運ちゃんが立ち上がるのを待っているの

だ。


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